会報6号 2001年3月発行 
「一英先生のふるさとを訪ねて」記事抜粋

<< 一英先生のふるさとを訪ねて >>


会員の皆様のご要望に応えて一英会が「一英先生のふるさとを訪ねる旅」を企画実施しました。 平成12年6月16日〜18日の二泊三日、佐藤免疫療法でよくなられた会員の皆様とご家族の方など全国 各地から総勢22名参加されました。 梅雨の時期ながら幸いお天気にも恵まれ大変有意義深い楽しい思い出の旅となりました。

一英先生が生まれ育った最上川のほとり、苦学時代の山形市内、発祥学研究のためにサンショウウオを追いかけた 蔵王山の源流、自然に恵まれた長期療養施設の建築構想予定地などゆとりの地を訪問し、あらためて 一英先生の偉大さを認識した思い出深いみちのくの旅でした。 参加された皆様からよせられたご紀行文とスナップ写真を次に掲載しました。

<< 主な旅程 >>
第1日目
東京駅→(山形新幹線)→村上駅→(観光バス)→一英先生生家・元戸沢尋常小学校→最上川→天童温泉滝の湯のホテル

第2日目
ホテル→山寺→阿部綿屋跡・後藤又兵衛旅館跡地・元夜間中学校・山形大学→サンショウウオの馬見ヶ崎川の源 流→蔵王お釜→山形サトウクリニック・トロロの森→上山温泉村尾旅館

第3日目
ホテル→さくらんぼ狩り→観光物産館→山形駅→山形新幹線→東京駅(解散)



金沢市 織田一郎

「免疫療法」がんに出会うまでは知ることもなかった言葉でした。 妻が 患うことになった悪性リンパ腫との運命的な出会いにより免疫療法に出会い、紆余曲折を経て、その延長線上で 「佐藤一英先生」にめぐり会う幸運に恵まれましまた。 そして、その延長上に今回の一英先生のふるさと山形を訪れる旅があったのです。

こんなことを考えながら、東京駅発の山形新幹線の車窓から移り行く景色を眺めていて思いました。 人の運命とは不思議なものです「ステージWです。あと2年はないでしょ」と12年前医師から宣告された妻が、 今私の隣の席に座って、にこにこ笑っているのです。

同じ車両でご一緒させていただく他の参加者の皆さんとお会いしました。皆さん初めての方ばかりですが、 同じ思いを持ち一英先生を慕って山形へ向かっているのです。 発車してまもなく婦長さんが「織田さん、どうぞ」と、どなたかが持ってきてくださったお土産のお菓子などをくださり、 恐縮すると同時にすっかり嬉しくなってしまいました。「みなさん。やさしんだなあ」今回の旅行の案内をいただいた時 <<一英先生のふるさと>>と聞いただけで「どんなにやり繰りをしても参加しよう」と決めて申し込みをしました。 走る列車のなかで「一英先生との出会いほど、大きくてすばらしい出会いがあるだろうか」とまた考えてしまい、同時に 「楽しい旅になりそうだ」と胸がわくわくしてくるのでした。

今回の山形の旅行では、これまで知ることがなかった一英先生の生まれながらの人柄に触れる機会が多くありました。 一英先生の「生い立ちの記録集」にも詳しく紹介されいますので、重複するところは省きますが、今回の旅行に参加されなかった 方にも、ぜひお耳に入れたい先生の向学心に燃える少年時代のエピソードを紹介します。

「生い立ちの記録集」に、野口英世にあこがれて先生が、夜間中学校から、東大医学部を受験し、 数学がチンプンカンプンで一蹴され、夜間中学の数学の先生に「先生この問題を解いて下さい」 問題を示したところ、先生も「これは俺には解げね」と言うくだりが紹介されています。

この夜間中学の「柏倉 学 先生」に山形サトウクリニックでお会いしました。 柏倉先生は一英先生より5歳年上とのことですが、75歳も今もかくしゃくとされ、山形サトウクリニックで頑張ってらっしゃいるのです。